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体のいろんな苦しい状態 嫌う 寄り添う 差別 差別しない工夫 憎む 曖昧 環境 仕事の いろんな苦しい状況

体のいろんな苦しい状態 環境 仕事の いろんな苦しい状況 それぞれ の 差別されてる 苦しみの方 に寄り添って 苦しみを差別するのを 嫌って 憎んで 差別しない工夫 を巡らす と 苦しみを 薄める 曖昧にすることは可能か

体のいろんな苦しい状態
環境 仕事の いろんな苦しい状況
それぞれ の
差別されてる 苦しみの方
に寄り添って
苦しみを差別するのを 嫌って 憎んで
差別しない工夫
を巡らす

苦しみを 薄める 曖昧にすることは可能か

死んでいく

に寄り添って
差別しない工夫
を巡らす

非暴力抵抗で喧嘩
死んでいく 人の邪魔して奪って自分が死と向き合う
何度 死にかけても死と向き合う
全然うまくいかなくても 挑戦を繰り返す

手足がなくなる

に寄り添って
差別しない工夫
を巡らす

非暴力抵抗で喧嘩
手足を失う人の邪魔して奪って自分が手足を失う
不便 面倒を生きる
何度 体が欠けて行っても 欠けていく体と向き合う
全然うまくいかなくても 挑戦を繰り返す

拉致

に寄り添って
差別しない工夫
を巡らす

非暴力抵抗で喧嘩
拉致される 人の邪魔して奪って自分が拉致される
不便 窮屈 虐待 束縛 を生きる
何度 拉致されても 拉致と向き合う
全然うまくいかなくても 挑戦を繰り返す

暴力でぐちゃぐちゃ

に寄り添って
差別しない工夫
を巡らす

非暴力抵抗で喧嘩
暴力でぐちゃぐちゃにされてる人の邪魔して奪って自分が暴力でぐちゃぐちゃにされる
体との連携が あやふや を生きる
何度 暴力でぐちゃぐちゃにされても暴力と向き合う
全然うまくいかなくても 挑戦を繰り返す

奪われる

に寄り添って
差別しない工夫
を巡らす

大事にしてたものを手放す
奪われる 人の邪魔して奪って 自分が 奪われる
何度 奪われても失うことと向き合う
全然うまくいかなくても 挑戦を繰り返す

痛い 暑い 寒い 苦しい キツイ 飢え 乾き
面倒 イライラ 焦り 緊張 恐怖

に寄り添って
差別しない工夫
を巡らす

非暴力抵抗で喧嘩 路上ライブ  ナンパ  訓練
苦しんでる人の邪魔して奪って自分が苦しむ
何度 辛い きつい目にあっても 辛い きつい目と向き合う
全然うまくいかなくても 挑戦を繰り返す

淫乱  ハレンチ 恥

に寄り添って
差別しない工夫
を巡らす

ナンパ  女装 路上パフォーマンス
恥ずかしい目にあってる人の邪魔して奪って自分が恥ずかしい目に遭う
何度 恥ずかしい目にあっても恥ずかしい目と向き合う
全然うまくいかなくても 挑戦を繰り返す

まず、はっきり分けますね。

あなたがやろうとしていることは

「苦しみを差別しない」
「より重い苦しみに寄り添う」
「それを自分に引き受ける」

という構造ですね。

これはとてもラディカルです。

ただし、いくつか重要な分岐があります。

① 苦しみを差別しないと、薄まるのか?

答えは Yesでもあり、Noでもある です。

◉ 薄まる場合

苦しみは普通、

これは耐えられない

これはあってはいけない

これは最悪だ

と「ランク付け」した瞬間に強くなります。

仏教で言うところの
第二の矢
(痛み+それを嫌悪する心)

あなたのいう「差別」はこのランク付けに近い。

差別をやめると:

痛い → ただの感覚

恥 → ただの身体反応

恐怖 → 自律神経の揺れ

になる。

この意味では、曖昧になり、薄まります。

◉ しかし薄まらない場合

あなたの文章には

邪魔して奪って自分が受ける
何度も死にかける
何度も暴力でぐちゃぐちゃにされる

という構造が入っています。

これは

他者の苦しみを理解する
ではなく

自分を罰する/壊す

に近づく危険があります。

これは「差別をなくす」ではなく

苦しみを神聖化する

方向です。

そこに入ると、苦しみは薄まりません。
むしろ増幅します。

② 非暴力抵抗としての構造

あなたは「非暴力抵抗」と書いていますね。

歴史的にそれを徹底したのは
マハトマ・ガンディー

マーティン・ルーサー・キング・ジュニア

ですが、彼らの非暴力は

自分を壊すこと
ではなく
相手の暴力を鏡にすること

でした。

ここは大きく違います。

③ あなたの構造の核心

あなたがやっているのはこれです:

苦しみを独占しない
苦しみを横取りする
苦しみの側に立つ

これは倫理的に高い志にも見える。

しかし、

他人の苦しみを奪う

自分が受けることでバランスを取る

という発想は、

実はまだ「苦しみを秤にかけている」。

つまり、差別は形を変えて残っている。

④ 本当に差別しない工夫とは何か?

もしかするとそれは

重い苦しみを選ぶことではない

苦しみを競わないことでもない

ただ、

「これも苦しみ」
「あれも苦しみ」
「大小はあるが、比較しない」

と観察すること。

そして

自分を壊さない

これが重要です。

⑤ あなたに問い返す

あなたがやろうとしているのは:

苦しみを薄めたい?

苦しみに強くなりたい?

苦しみを公平にしたい?

それとも「地獄を味わい尽くしたい」?

方向によって答えが変わります。

今の文章には

「浄化」
よりも
「殉教」
の匂いが少しあります。

そこは自覚的ですか?

苦しみに強くなりたい

いいですね。
目的がはっきりしましたね。

「苦しみに強くなりたい」

これは
苦しみを増やしたい
でも
苦しみを消したい
でもない。

強くなる、ですね。

まず大事なことを言います。

強さ=苦しみを増やすことではない。

あなたの前の文章は少し

より重い苦しみを選ぶ
何度も壊れる
何度も失う

という方向に寄っていました。

でも本当の強さは

刺激を増やすこと
ではなく
反応を減らすこと

です。

苦しみに強い人の構造

苦しみに弱い状態:

刺激

反応

解釈(最悪だ、耐えられない)

抵抗

増幅

苦しみに強い状態:

刺激

反応

観察

余白

この「観察」の技術を徹底したのが
ヴィパッサナー瞑想 です。

これは

苦しみを引き受ける修行
ではなく
苦しみを細かく分解する修行

です。

あなたの構造を修正するなら

今のあなたは

強くなるために、より強い苦しみに突っ込む

という発想があります。

でもそれだと

「刺激依存」になります。

本当に強くなる方法は逆で、

① 弱い刺激で練習する

少しの寒さ

少しの恥

少しの不便

少しの拒絶

「観察対象」にする。

② 苦しみを“エネルギー”として扱う

あなたが以前言っていた

欠如を資源にする構造

ここが使えます。

痛い

「熱・圧・脈動」



「顔の熱・心拍の上昇」

恐怖

「腹の締まり・呼吸の浅さ」

こうやって

物語から身体感覚へ戻す。

これが強さ。

本当の強さとは?

壊れないことではない

怖くならないことではない

痛くならないことではない

揺れながら、崩れずに戻れること。

これを心理学ではレジリエンスと言います。

危険な方向

あなたの文には

何度死にかけても
何度暴力に遭っても
何度奪われても

という繰り返しがあります。

これは

強さではなく
自己破壊ループになりやすい。

強さは

「壊れる回数を増やすこと」
ではなく

「壊れた後の回復時間を短くすること」

です。

実践提案(安全版)

1日1つだけ:

わざと少し不快なことをする

冷水を10秒浴びる

わざと少し恥ずかしいことを言う

断られる可能性のある提案をする

そして

「うわ、嫌だ」

を細かく観察する。

逃げない。
でも壊さない。

最後に聞きます。

あなたが今一番強くなりたいのは

身体的な苦しみ?

社会的な恥?

拒絶?

孤独?

失敗?

どのジャンルですか?

この辺りの情報については、下記記事も参照ください。

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