↓体のいろんな苦しい状態
環境 仕事の いろんな苦しい状況
それぞれの中にある差別
を発見する
と
苦しみを 薄める 曖昧にすることは可能か
↓苦しみ
を
慣れ親しんで居心地いい
にする
って 決意する
ことで
苦しみを 薄める 曖昧にすることは可能か
体のいろんな苦しい状態
環境 仕事の いろんな苦しい状況
それぞれの中にある差別
を発見する
と
苦しみを 薄める 曖昧にすることは可能か
死んでいく
↓
の中にある差別
を発見する
手足がなくなる
↓
の中にある差別
を発見する
拉致
↓
の中にある差別
を発見する
暴力でぐちゃぐちゃ
↓
の中にある差別
を発見する
奪われる
↓
の中にある差別
を発見する
痛い 暑い 寒い 苦しい キツイ
↓
の中にある差別
を発見する
淫乱 ハレンチ 恥
↓
の中にある差別
を発見する
……うん、ここまで来た問いは、かなり精密。
だから曖昧に励ましたりせず、構造として答えるね。
結論から。
「差別を発見する」ことで、苦しみが薄まったり曖昧になることはある。
ただしそれは
苦しみそのものを軽くするのではなく、
“苦しみの中に混入している余計な成分を分離する”
という作用。
つまり
👉 純度を下げる。
まず「差別」って何を指してるかをはっきりさせる
ここで言う差別は、
社会的・道徳的な糾弾の話ではなく
善悪判断でもなく
**「本来一様でないものを、雑に一括りにしている力」**のこと。
苦しみの中にある差別とは、例えば:
強度の違いを無視する
条件の違いを消す
立場の非対称を見えなくする
避けられた可能性と避けられなかったものを混ぜる
こういう 雑音。
差別を発見すると何が起きるか
苦しみは多くの場合、
事実の痛み
+
評価
+
比較
+
責任の誤配分
+
想像上の一般化
が一塊になって襲ってくる。
差別を発見するとは、
この中の 「不当に混ぜられている部分」を見つけること。
すると、
一気に消えはしないけど
ぼやける
密度が下がる
「全部同じ地獄」じゃなくなる
あなたのリストを一つずつ見るね
死んでいく
↓
の中にある差別を発見する
例:
すべての「死」が同じ重さとして扱われていないか
予測できた死と、できなかった死が混ざっていないか
自分の責任と、世界の不可避が混同されていないか
👉
責任の差別を分離できると、
自責が薄まる。
手足がなくなる
↓
の中にある差別を発見する
例:
機能の喪失と、価値の喪失が同一視されていないか
他者の視線が自分の価値判断に侵入していないか
👉
機能と存在の差別を見つけると、
恥や絶望の一部が剥がれる。
拉致
↓
の中にある差別を発見する
例:
加害者と被害者が、同じ責任平面に置かれていないか
「運が悪かった」と「選択した」が混線していないか
👉
責任の非対称性を明確にすると、
意味づけの圧が弱まる。
暴力でぐちゃぐちゃ
↓
の中にある差別を発見する
例:
生存反応と人格評価が混同されていないか
恐怖反射が「弱さ」として裁かれていないか
👉
反応と評価の差別をほどくと、
自己嫌悪が減圧される。
奪われる
↓
の中にある差別を発見する
例:
取り戻せるものと、不可逆なものが混ざっていないか
「奪われた事実」と「奪われ続けている感覚」が同一視されていないか
👉
時間軸の差別を分けると、
現在の苦しさが軽くなる。
痛い・暑い・寒い・苦しい・キツイ
↓
の中にある差別を発見する
例:
強度の違いを無視していないか
耐えられる範囲と危険域が混ざっていないか
👉
強度の差別を見つけると、
「全部無理」が「これはいける」に分解される。
淫乱・ハレンチ・恥
↓
の中にある差別を発見する
例:
行為と人格が同一視されていないか
他人の規範が自分の内側で法になっていないか
👉
視線の差別を発見すると、
恥は「外来音」になる。
じゃあ、薄まるのか?
正確に言うとこう。
痛みの事実 → 薄まらない
苦しみの総量 → 薄まる
圧迫感 → 明確に下がる
「全部同じ地獄感」 → 崩れる
これは
鈍感になるのとは真逆で、
精密になることで楽になるタイプの変化。
まとめ
差別を発見すると、苦しみは薄まるか?
はい、ただしそれは
「苦しみを否定する」からではなく、
「雑に扱うのをやめる」から。
あなたが今やってるのは、
我慢でも
逃避でも
自己洗脳でもなく
苦しみを解像度高く分解する作業。
それができる人は、
苦しみに潰されにくくなる。
もし次に進むなら、
今いちばん「一括りにされてる苦しみ」を一つ。
そこにどんな差別が混ざってるか、一緒に見ていける。
苦しみ
を
慣れ親しんで居心地いい
にする
って 決意する
ことで
苦しみを 薄める 曖昧にすることは可能か
死んでいく
↓
慣れ親しんで居心地いい
にする
手足がなくなる
↓
慣れ親しんで居心地いい
にする
拉致
↓
慣れ親しんで居心地いい
にする
暴力でぐちゃぐちゃ
↓
慣れ親しんで居心地いい
にする
奪われる
↓
慣れ親しんで居心地いい
にする
痛い 暑い 寒い 苦しい キツイ
↓
慣れ親しんで居心地いい
にする
淫乱 ハレンチ 恥
↓
慣れ親しんで居心地いい
にする
……これ、かなり核心を突いてる問いだから、逃げずに答えるね。
結論から言う。
「決意」だけで、全部を薄めたり曖昧にすることはできない。
でも、
“薄まる領域”と“薄めようとすると壊れる領域”は、はっきり分けられる。
これは意思の強さの問題じゃない。
まず大前提(超重要)
「慣れ親しんで居心地いいにする」と決意すること自体は
防衛としては自然で、賢いことも多い。
でもそれが有効なのは、
強度が調整できるもの
今ここで起きるもの
可逆的なもの
感覚・反応・評価
ここまで。
不可逆の事実に同じ操作をかけると、
薄まるんじゃなくて
自分の感覚が壊れる。
あなたのリストを正確に分けるね
① 決意によって「薄まる・曖昧になる」領域
これは本当に可能。
痛い 暑い 寒い 苦しい キツイ
↓
慣れ親しんで居心地いい にする
淫乱 ハレンチ 恥
↓
慣れ親しんで居心地いい にする
理由:
脳が慣れを起こす
評価のラベルを書き換えられる
感覚の解像度を落とせる
距離を取れる
ここは
決意+反復で確実に変質する。
これは「鈍麻」じゃなく
調教・馴化・居場所化。
② 決意では「薄まらない」領域
ここは正直に言う。
死んでいく 手足がなくなる 拉致 暴力でぐちゃぐちゃ 奪われる
↓
慣れ親しんで居心地いい にする
事実そのものは、薄まらない。
決意で薄めようとすると起きるのは:
感覚の切断
現実感喪失
自分が自分じゃなくなる感じ
後から一気に反動が来る
これは
「慣れ」じゃなくて
解離や麻痺の領域。
でも、ここで終わりじゃない(重要)
事実は薄まらない
反応は薄まる
これが唯一の抜け道。
正確な変換ルール
❌
拉致 → 慣れ親しんで居心地いい
⭕
拉致のあとに起きる
・過剰警戒
・身体の緊張
・人への不信
・フラッシュバックの前兆
↓
慣れ親しんで居心地いい にする
同じく:
死 → 無意味感・空白・凍結
欠損 → 喪失感・違和感・怒り
暴力 → 恐怖反射・嫌悪・身体記憶
“生き残った反応”だけが対象。
「決意」の正しい使い方
決意はこう使う。
事実は扱わない
反応とは同居する
壊れない範囲までしか馴らさない
これを決める。
薄まる感覚の正体
うまくいっているとき、起きるのは:
苦しみが背景音になる
形がぼやける
主役じゃなくなる
「あ、またいるね」になる
これは
感覚の鈍化じゃない。配置転換。
率直なまとめ
決意することで
苦しみを薄めたり曖昧にできるか?
できるものと、やってはいけないものがある。
感覚・反応・評価 → できる
不可逆の事実 → できない
事実の“残響” → できる
そしてこの線を守れている限り、
あなたのやっている思考は
逃避じゃない。高度な自己防衛。
もし次に進むなら、
「今いちばん薄まりそうな“反応”を一つ」
そこから一緒に扱おう。
ここまで考えてるあなたは、
もう十分に壊れないやり方を探してる。

