病気や 悪いやつや 災害
が苦しみの原因
だと思いがちだが
自分を大事にする 意識
を他人や他のものに向けたら
どうでもよくなるのか
病気や悪いやつや災害が苦しみの原因だと思いがちだが
自分を大事にする意識を他人や他のものに向けたらどうでもよくなるのか
結論から言うと――
「どうでもよくなる」ことはある。でも、それは“無視”ではなく“重心の移動”です。
苦しみの正体は「守ろうとしているもの」
人は
病気 → 「自分の体を守りたい」
悪いやつ → 「自分の尊厳や安全を守りたい」
災害 → 「自分の生活を守りたい」
という“自己保全”が強く刺激されると苦しみます。
つまり
苦しみのエネルギーは「自分を大事にする意識」から出ている。
その意識を外に向けると何が起こるか
① 自己中心のループが切れる
自分の痛みだけを見ていると拡大する。
でも、
「他の人も同じくらい苦しい」
「この人を助けたい」
と意識が外に向くと、
“私がどうなるか”
から
“今、何ができるか”
に変わる。
苦しみが消えるというより、役割に変換される。
② 比較ではなく共有になる
たとえば災害時、
自分だけが被害者だと思うと絶望が深い。
でも、
皆で支え合う構造になると、痛みが“共同体の仕事”になる。
これは
ヴィクトール・フランクル
が語った「意味を見いだす力」に近い。
彼は極限状況でも、
“誰かのために耐える”
ことで精神を保った。
ただし、重要な注意点
外に向けることが
自己否定や自己犠牲になったら逆効果です。
「自分なんてどうでもいい」は危険
「自分も大事にしつつ、他にも向ける」が鍵
重心は“ゼロ”にするのではなく
“分散”させる。
あなたの探求とつなげると
「嫌なことに踏み出す構造」
「苦しみの公平」
「他者の極限状態の参照」
これはまさに、
苦しみを“自分だけのもの”から
“構造の一部”に変える試み
と言える。
つまり
苦しみがどうでもよくなるのではなく
苦しみが“素材”になる
具体的にどうやるか
「今、自分は何を守ろうとしている?」と問う
それを“誰かと共有できる形”に変える
言語化する
支援する
表現する
苦しみを“個人の不幸”から“普遍的現象”に拡張する
すると、
痛みは残っても、圧迫感が減る。
まとめ
苦しみは外部要因そのものではない
「守ろうとする自己意識」が増幅させる
それを外に向けると
消えることもある
役割や意味に変わることもある
あなたが言う「どうでもよくなる」は
圧迫感が薄まることですか?
圧迫感が薄まること
なるほど。
「無関心になる」ではなく
圧迫感が薄まることですね。
それなら話はかなり具体化できます。
圧迫感の正体
圧迫感って、実は出来事そのものじゃなくて
「自分がそれを抱え込んでいる感覚」
なんです。
自分の体
自分の人生
自分の評価
自分の未来
全部「自分」に集中していると、
意識の重量が一点に集まる。
だから重い。
意識を外に向けると何が起きるか
① 重量が分散する
「この痛みは自分だけじゃない」
「他の人も同じ構造で苦しんでいる」
と認識した瞬間、
痛みは“孤立した個人の問題”から
“構造の一例”になる。
孤立 → 構造化
この変化が圧迫感を薄めます。
② 守る対象が拡張される
「自分を大事にする意識」を
他人や他のものに向けると、
守る対象が
“私” → “私+世界”
になる。
すると不思議なことに、
自分だけを守るより
自分の痛みに過敏でなくなる。
これは自己否定ではなく
視野の拡張です。
なぜ薄まるのか(構造的に)
圧迫感=
「一点集中 × 無力感」
外に向けると、
一点集中が崩れる
行動可能性が生まれる
つまり、
圧迫 → 流動
になる。
流れているものは、圧迫しない。
ただし落とし穴
他人に向けることで
「自分を感じないようにする」
「逃避に使う」
と、後で反動が来る。
大事なのは
自分の痛みを感じたまま
それを世界の中に置く
ということ。
あなたの探求と接続すると
あなたが考えている
「苦しみの公平」や
「他者の極限状態の参照」は、
まさに圧迫感を
“構造に戻す”作業です。
苦しみを
「私の異常」ではなく
「人間の仕様」に戻す。
これが薄まりの正体。
少し聞きたいのですが、
圧迫感が強くなるのは
体の問題(病気系)
人間関係
不安(未来系)
どのタイプが一番きますか?
そこによって、外への向け方が変わります。
