苦しみ
を
慣れ親しんで居心地がいい
にする
って 決めておいて
苦しみを 薄める 曖昧にするストーリー
死
を
慣れ親しんで居心地がいい
にする
って 決めておいて
苦しみを 薄める 曖昧にするストーリー
「死」を
慣れ親しんで居心地がいい
にしておくためのストーリー
人は、
知らない場所に連れて行かれるときに一番苦しむ。
真っ暗で、説明がなくて、
戻れるかもわからないとき。
だからこの人は、
死を“初めて行く場所”にしないことにした。
その人にとって、死は
崖でも、裁きでも、終点でもない。
死は――
昔から何度も通っている部屋だ。
疲れ切った夜、
何も考えられなくなったとき。
世界が遠くなって、
体の輪郭がぼやけて、
言葉が落ちていくあの感じ。
あれが、
この人にとっての「死の入口」。
もう知っている。
その部屋には、
評価がない
説明がいらない
うまくやる必要がない
ただ、
置かれて、休んで、薄くなる。
だからこの人は、
死を怖がらないようにしようとはしなかった。
代わりに、こう決めていた。
「死は、
いつもの“力が抜ける感じ”と同じ」
体が壊れそうなときも、
何も守れなかったときも、
取り返しがつかないと思ったときも、
こう考える。
「ああ、
ここはあの部屋に近いだけだ」
すると不思議なことに、
叫ぶ必要がなくなり
物語を作らなくなり
“意味”を探さなくなる
苦しみは消えないけど、
特別扱いされなくなる。
死は、
何かを奪いに来る存在じゃない。
この人にとっては、
「全部を握る手を、そっと離す場所」
だから、
生きている間に苦しみが来ても、
「これは死に近い感触だな」
「つまり、よく知ってる感覚だ」
そう思える。
すると苦しみは、
敵じゃなくなる。
背景音になる。
このストーリーのポイントはひとつだけ。
❌ 死を美化しない
❌ 死を望まない
ただ、
死を“見慣れた状態”にしておく
それだけ。
だからこの人は今日も生きる。
必死でもなく、
希望にしがみつくでもなく、
ただ、
「知っている感覚の延長」
として。
もし一文にするなら、これ。
「死は、もう慣れてる感じにしてある」
この一文は、
死のためじゃなく、
生きている今の苦しみを薄めるために使う。
それでいい。
手足がなくなる
を
慣れ親しんで居心地がいい
にする
って 決めておいて
苦しみを 薄める 曖昧にするストーリー
これは恐怖を煽らない・肯定もしないで、
ただ「苦しみを薄めるための内部ストーリー」
「手足がなくなる」を
慣れ親しんで居心地がいい
にしておくストーリー
この人は、
「手足がなくなる」ことを
欠落として扱わないことにした。
理由は単純で、
欠落として扱うと、
脳がずっと「失った・戻せない・終わった」を再生し続けるから。
だから最初に、
こう決めておく。
「手足がなくなる=
操作系がオフになる状態」
この人はもう知っている。
疲れ切ったとき、
極限まで緊張したあと、
何もしたくなくなる瞬間。
動かしたくない
決めたくない
反応したくない
あの感覚。
あれを、
この人は**小さな“手足なし状態”**と呼んでいた。
つまり、
「完全に初めての状態ではない」
だからストーリーはこうなる。
手足がなくなるとき、
世界はこうなる。
触らなくていい
掴まなくていい
抵抗しなくていい
体は、
外界と交渉しなくていいモードに入る。
この状態では、
役割が変わる。
何かを成し遂げる存在 → ❌
反応し続ける存在 → ❌
代わりに、
「置かれている存在」
になる。
この人はそれを、
怖いとは定義しない。
こう定義する。
「世界との接点が減って、
内側が静かになる状態」
だからこの人の中では、
手足がある=
世界とやりとりするフェーズ
手足がない=
世界から少し引き下がるフェーズ
ただそれだけ。
「失う」ではない。
「退く」でもない。
「関与が減る」
このストーリーでは、
手足がなくなると、
期待されない
要求されない
判断を急かされない
居心地が悪くなる理由が、
そもそも存在しない。
この人はこう思う。
「ああ、
もう動かなくていい領域に入っただけだ」
すると、
恐怖は出てきても、
パニックにならない
意味づけを始めない
物語を膨らませない
苦しみは、
広がらず、滲まず、増殖しない。
重要なのはここ。
❌ 手足がなくなるのは良いこと
❌ 望ましいこと
とは一切していない。
ただ、
「慣れた感触の延長線上」
に置いているだけ。
この人の中では、
最終的にこの一文に落ちる。
「手足がなくなる=
もう操作しなくていい感じ」
この一文は、
現実を変えるためじゃない。
苦しみが暴走しないための、
内部のブレーキ。
それでいい。
拉致
を
慣れ親しんで居心地がいい
にする
って 決めておいて
苦しみを 薄める 曖昧にするストーリー
これは現実の拉致を肯定したり、美化したりする話ではない。
あくまで――
「仕事・人間関係・逃げ場のない状況」を脳内で処理するための、内部ストーリー
「拉致」を
慣れ親しんで居心地がいい
にしておくためのストーリー
この人は最初に、
こう決めている。
「拉致=連れ去られる出来事」
ではなく、
「自分でハンドルを握れない状態」
この人はもう、
それを知っている。
仕事で断れない流れに乗せられたとき
人間関係で役割を押し付けられたとき
もう選択肢が残っていないと感じたとき
体が先に動き、
頭が置いていかれる感じ。
あれは、
小さな拉致だった。
だからこの人にとって、
拉致は「未知」じゃない。
この人は、
こう再定義する。
「拉致=主導権が外にあるフェーズ」
主導権が外にあるとき、
やらなくていいことが増える。
判断しなくていい
正解を探さなくていい
自分の意思を説明しなくていい
このストーリーの中で、
拉致された瞬間、
この人はこうなる。
「決定権のない観測者」
観測者は、
反抗もしない
同意もしない
価値判断もしない
ただ、
起きていることを通過させる。
この人は知っている。
自分で選ばされたときより、
「選べない」と決まっているときの方が、
体は案外、静かになる。
だから拉致は、
恐怖の物語にしない。
こう置き換える。
「もう自分で決めなくていい期間」
この期間では、
良い/悪いを考えない
将来を想像しない
自分を責めない
すべては
外部プロセスとして処理される。
この人の中では、
拉致はこう終わる。
「ああ、
今は“運ばれている時間”なんだな」
運ばれている間は、
急がなくていい
完成しなくていい
立派でなくていい
ただ存在していればいい。
このストーリーの目的はひとつ。
❌ 拉致を良いものにする
❌ 受け入れろと言う
ではない。
苦しみが、
思考と感情で増殖しないようにする
恐怖は出てもいい。
嫌悪も出ていい。
でも、
物語にしない
意味を足さない
未来に飛ばさない
それだけで、
苦しみは「点」で止まる。
この人は最後に、
こう決めている。
「拉致=
自分の責任が一時的に解除される状態」
それは逃げでも、
美化でもない。
生き延びるための、
脳内の置き場所。
暴力でぐちゃぐちゃ
を
慣れ親しんで居心地がいい
にする
って 決めておいて
苦しみを 薄める 曖昧にするストーリー
現実の暴力を肯定もしないし、美化もしない。
あくまで――
「仕事・人間関係・感情的にズタズタにされる状況」を、脳内で生き延びるための内部ストーリー。
「暴力でぐちゃぐちゃ」を
慣れ親しんで居心地がいい
にしておくためのストーリー
この人は、
「暴力でぐちゃぐちゃ」を
攻撃の物語として扱わない。
代わりに、
こう定義している。
「構造が壊れるフェーズ」
この人はもう知っている。
仕事で全否定されたとき
人間関係で言葉を浴びせられたとき
価値観を踏みにじられたとき
頭の中が散らばって、
自分が何者かわからなくなる感じ。
あれは、
内部がぐちゃぐちゃになる経験だった。
つまり、
「暴力でぐちゃぐちゃ」は
完全に初体験じゃない。
この人は最初に、
こう決めておく。
「ぐちゃぐちゃ=
形を保つ必要がなくなる状態」
形を保つ必要がないということは、
一貫性はいらない
強さはいらない
説明はいらない
このストーリーの中で、
暴力が起きた瞬間、
この人はこうなる。
「壊れたままで許される存在」
壊れている間は、
まとめなくていい
立て直さなくていい
正常に戻らなくていい
ぐちゃぐちゃは、
失敗ではなく状態。
この人は知っている。
整っていないときほど、
体は「防御」をやめて、
深く沈む。
だからこの人は、
ぐちゃぐちゃを
こう扱う。
「世界との摩擦で、
角が削れたあと」
削れたあとは、
尖らない
抵抗しない
張り詰めない
ただ、
広がって、散らばっているだけ。
このストーリーでは、
暴力の意味づけをしない。
何が悪かったか → 考えない
誰のせいか → 探さない
どう立ち直るか → 今は考えない
ぐちゃぐちゃな時間は、
再構成前の空白。
居心地がいい理由は、
ここにある。
「完成形でいる義務がない」
この人は最後に、
こう自分に言う。
「ああ、
今は“崩れている段階”なんだ」
崩れている段階では、
意味は未定
評価は保留
将来は白紙
だから、
苦しみは広がらない。
重要なのはここ。
❌ 暴力はいい
❌ 受け入れろ
ではない。
「苦しみが
ストーリーとして増殖しないようにする」
恐怖や痛みはあっていい。
でも、
物語を与えない
アイデンティティにしない
結論にしない
それだけで、
苦しみは曖昧なまま通過する。
この人の中で、
最終的な置き場所はこれ。
「暴力でぐちゃぐちゃ=
形を休ませている時間」
壊れていることを、
直さなくていい時間。
それは、
慣れ親しんだ、静かな居場所。
奪われる
を
慣れ親しんで居心地がいい
にする
って 決めておいて
苦しみを 薄める 曖昧にするストーリー
現実の被害や不正を肯定しない。
ただ、
「仕事・人間関係・評価・時間・居場所を奪われた感じ」を、脳内で処理するための内部ストーリーとして。
「奪われる」を
慣れ親しんで居心地がいい
にしておくためのストーリー
この人は最初に、
こう決めている。
「奪われる=
自分が握っていた“所有”が外れる状態」
この人はもう知っている。
努力したのに評価されない
立場を急に失う
時間・余裕・役割を持っていかれる
あの、
胸の中が空洞になる感じ。
あれは、
**何かを失ったというより、
“持っていたことにされていたものが消える感覚”**だった。
だからこの人は、
奪われることを
こう再定義する。
「抱えなくてよくなるフェーズ」
抱えなくてよくなると、
守らなくていい
維持しなくていい
失敗を恐れなくていい
このストーリーの中で、
奪われた瞬間、
この人はこうなる。
「空いている存在」
空いている存在は、
埋めなくていい
取り戻さなくていい
すぐ次を探さなくていい
ただ、
スペースが増える。
この人は知っている。
何かを持っているときほど、
失う恐怖
守る緊張
比較の苦しさ
が常にまとわりつく。
だから奪われることを、
罰にはしない。
こう置く。
「荷物が強制的に降ろされた状態」
荷物が降ろされると、
肩の力が抜ける
姿勢が崩れる
だらしなくなれる
それは、
居心地が悪いはずの瞬間なのに、
体は少し楽になる。
このストーリーでは、
奪われた理由を考えない。
なぜ自分だけ → 考えない
何が悪かった → 探さない
どう取り返す → 今はしない
奪われた直後は、
再装備前の素の状態。
この人は、
その状態を知っている。
疲れ切って、
何も持てなくなった夜の感じ。
だからこの人は、
こう自分に言う。
「ああ、
今は“持たなくていい時間”なんだ」
持たなくていい時間では、
価値を証明しなくていい
役に立たなくていい
立派でなくていい
重要なのはここ。
❌ 奪われていい
❌ 被害を受け入れろ
ではない。
「苦しみが
“自分の価値が消えた物語”に
変形するのを止める」
奪われても、
自分は減らない
中身は壊れていない
ただ“手ぶら”になっただけ
この人の中で、
最終的な置き場所はこれ。
「奪われる=
一度、何も持たないで座っていい状態」
手ぶらでいることを、
恥にしない。
それは、
慣れ親しんだ、
一番軽い居場所。
痛い 暑い 寒い 苦しい キツイ
を
慣れ親しんで居心地がいい
にする
って 決めておいて
苦しみを 薄める 曖昧にするストーリー
現実の苦痛を否定しない/耐えろとも言わない。
ただ、
「体の不快・仕事のしんどさ・限界感」が、脳内で増殖しないための置き場所としてのストーリー。
「痛い・暑い・寒い・苦しい・キツイ」を
慣れ親しんで居心地がいい
にしておくためのストーリー
この人は最初に、
こう決めている。
「不快=異常」ではない
代わりに、
「環境と体が擦れている音」
として扱う。
この人はもう知っている。
体がだるい朝
空調が合わない部屋
仕事で息が詰まる瞬間
もう余裕がない感じ
それらは全部、
同じ質感をしている。
だからこの人は、
まとめてこう呼ぶ。
「調整中のサイン」
調整中のサインは、
消さなくていい
直さなくていい
すぐ意味づけしなくていい
このストーリーの中で、
痛みや不快が出た瞬間、
この人はこうなる。
「体のチューニングを聞いている存在」
暑い → 放熱が起きている
寒い → 節約モードに入っている
苦しい → 処理が重い
キツイ → 限界を測っている
ただそれだけ。
この人は、
不快を敵にしない。
「今の設定が合ってないだけ」
設定が合ってないときは、
イライラしていい
ぼんやりしていい
役に立たなくていい
このストーリーでは、
不快に点数をつけない。
何点の痛み → 測らない
我慢できるか → 判断しない
まだ続くか → 予測しない
不快は、
瞬間的な信号。
未来を含まない。
この人は知っている。
「このまま続いたらどうしよう」と
考え始めた瞬間に、
苦しみは何倍にもなる。
だから、
こう自分に言う。
「今、
体が音を立ててるだけだ」
音は、
ずっと鳴り続けるとは限らない
意味を持たなくていい
評価しなくていい
このストーリーの居心地の良さは、
ここにある。
「感じているだけで、
何者にもならなくていい」
痛い人
苦しい人
キツイ人
にならなくていい。
ただ、
「今、刺激がある」
それだけ。
重要なのはここ。
❌ 苦しみは幻想
❌ 慣れれば消える
ではない。
「苦しみを
物語・人格・運命に
変えない」
この人の中で、
最終的な置き場所はこれ。
「痛い・暑い・寒い・苦しい・キツイ=
体が働いている音」
音がする場所は、
生きている場所。
それは、
慣れ親しんだ、
一時的な居心地。
淫乱 ハレンチ 恥
を
慣れ親しんで居心地がいい
にする
って 決めておいて
苦しみを 薄める 曖昧にするストーリー
性的行為を描写しない/煽らない。
ここで扱うのは、
「淫乱・ハレンチ・恥」という“ラベルを貼られた感じ”や自己嫌悪を、
脳内で増殖させないための内部ストーリー。
「淫乱・ハレンチ・恥」を
慣れ親しんで居心地がいい
にしておくためのストーリー
この人は最初に、
こう決めている。
「淫乱・ハレンチ・恥=
行為そのものではなく、
評価が貼られた音」
評価が貼られるとき、
体に起きるのはだいたい同じ。
顔が熱くなる
体が縮こまる
早く消えたい感じがする
それは、
危険回避の反射。
だからこの人は、
恥をこう呼び替える。
「社会的センサーが鳴っている状態」
センサーが鳴っているときは、
正しさを決めなくていい
釈明しなくていい
自分を裁かなくていい
このストーリーの中で、
「淫乱」「ハレンチ」という言葉が
頭に浮かんだ瞬間、
この人はこうなる。
「ラベルを見ている観測者」
ラベルは、
自分ではない
本質でもない
永続しない
ただ、
誰かの基準が通過した跡。
この人は知っている。
恥は、
一人で抱え込むと
人格に変形しやすい。
だから、
人格にしない。
「今、恥の信号が出ているだけ」
このストーリーでは、
善悪の結論を出さない。
正しかったか → 今は保留
間違っていたか → 今は保留
どう振る舞うべきか → 今は考えない
恥のピークは、
たいてい短い。
長引くのは、
意味づけを足したとき。
この人は、
意味づけを足さない代わりに、
こう扱う。
「体が群れの音に反応しただけ」
群れの音に反応した体は、
赤くなっていい
ぎこちなくていい
不格好でいい
それは、
昔から慣れ親しんだ反応。
居心地がいい理由は、ここ。
「恥を感じても、
何者にも決められない」
この人は最後に、
こう置いておく。
「淫乱・ハレンチ・恥=
社会的ノイズが一時的に入った状態」
ノイズは、
流れていく
留まらない
自分を定義しない
重要なのはここ。
❌ 恥は消すべき
❌ 恥は悪
ではない。
「恥を
アイデンティティにしない」
恥が来ても、
自分は残る
中身は無傷
ただセンサーが鳴っただけ
この人にとっての最終位置はこれ。
「恥=
反応が起きて、
そのまま通り過ぎる場所」
それは、
慣れ親しんだ、
一時的に立ち止まれる居場所。
ここまで全部を 一行にまとめる
「どんな苦しさも、
今は操作・判断・意味づけを休んで、
ただ通過させていい“慣れ親しんだ調整中の状態”」
もう少し感覚寄りにすると、
「これは異常じゃない、
昔から知ってる感触が通ってるだけ」
さらに短くすると、
「今はそういう状態なだけ」
この一行の役割はただひとつ。
👉 苦しみを“物語”にさせない
👉 自分の正体や運命にしない
感じていい。
嫌でいい。
でも、定義しなくていい。
それだけで、
苦しみは「点」で止まる。

